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さらば、マレーシアーその4(最終) [日記]

<最高のテニス仲間たち>

 マレーシアのロングステイ・ビザは基本的に仕事をすることを禁止している。マレーシア人たちから仕事を奪うなということなんだろう。それをいいことに僕はいっさい仕事はせず、毎日のようにテニスとプールでの泳ぎと週1回のバティック教室通いに明け暮れた。僕の住んでいるコンドミニアムは400室以上あり、少なくとも1,200人ぐらいは住んでいる勘定になり、その内少なくとも100人ぐらいは日本人だと思うのだが、テニスをする日本人は1人もいない。男性は殆どが現役で仕事(勤め)をしていて、そのほぼ全員がゴルフ族である。従って僕は彼等の仲間には入れない。廊下やレストランで合った時挨拶をするぐらいである。このコンド内でテニスをするのは主としてインド人と白人達だ。その内の幾人かと、あとは外からテニスをしに来る連中とやっている。もう1つは近所にスポーツセンターがあって、テニスコートが4面あり25〜6人のグループが毎週土曜日の夕方に集まってくる。このグループにも日本人は1人もいなかったのだが、最近現役で仕事をしている日本人が1人仲間入りしてきた。その彼とプレイする時だけは、「あ、ごめん」とか思わず日本語も飛び出す。


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 中国系マレー人や純粋のマレー人、この中にはいないが数人のデンマーク人やイギリス人などがいて、まだ殆どが現役で仕事をしているので週末に集まるのを楽しみにしているようだ。


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 もう1つのグループは僕のコンドのコートに毎週日曜日にやってくる連中で、中国系のローカル人とイギリス人、時にはインド人たちも加わる。5年間一緒にやってきたので、僕が日本に帰ると知ってみんなでお別れ食事会をしてくれた。本当に気持ちのいい連中で、この人たちと別れるのはとても心残りだ。恐らく日本ではこんなに人懐っこい人たちのグループとのテニスは期待できまい。

 とまぁ、こんな楽しいマレーシア生活を切り上げて、寒さに喘ぐ日本に何故帰るの?とよく聞かれるけれど、僕もあと5年もすると80才を超えるしなぁ。この辺で思い切って帰り、終の棲家を構えようという気になったというわけです。

というわけで、しばらくはブログをまた休みます。いつも不精でろくに更新もしなかったので、忘れられてしまったことでしょう。またいつかお会いする日もあるかと。その時はどうぞよろしく。
石津祐介
 

さらば、マレーシアーその3 [日記]

 これまでのブログで紹介したように、5年間のマレーシア暮らしではいくつかの島とマレー半島の東海岸へも出かけてみた。ランカウイ島やティオマン島は思い描いていたような優雅なリゾートで大いに満足したけれど、世界遺産に登録されているマラッカやペナンの街は期待したほど感心するものが案外少なく、ちょっと拍子抜けではあった。僕のマレーシア生活の中では観光地などへ出かけたことよりも、むしろ近所の教室に通って習ったマレーシアの伝統民芸バティック制作が一番の想い出になりそうだ。気がつくと何と4年半も通っていたことになる。その間に作った作品は60点くらいになるだろう。
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 バティックは日本のろうけつ染めに似ていて、熱く溶かしたワックス(蝋)で輪郭を描いていき、その中を染料で染めていくもので、着るものや壁飾りなどにするのである。

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 僕は当初は壁にかけるタペストリーや額に入れて部屋の壁に掛けたりするものを作っていたが、やがてスーパーなどへ買い物に行く時に使うエコバッグばかりを作るようになった。うちの奥さんから簡単なバッグの縫い方を習ってからはミシンを踏むのも楽しくなってきた。バティック教室の他の生徒さんのようなバティック独特の絵柄にはあまり興味のない僕はネットなんかからいろんな絵柄を引っ張り出してきて、それをモチーフにしてさらに簡素化なんかするものだからすぐに作品が仕上がってしまう。驚異のスピードだなんて皆んなから云われて悦に入ったりしているのである。

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左端はアフリカのティンガティンガ派と云われるアート集団の画家の手になる絵をモチーフにしたもの。中央は普段はいている短パンをデザインしたもの。右端はたまには和をテーマにしようと、北斎の浮世絵からいただいたもの。こんな調子でいつの間にか60点ものエコバッグを作ってしまった。

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エコバッグ制作の合間には息抜きにノートパソコンのカバーなんかも作ってみた。

とまぁこんな具合で週1回教室に通い始めて4年半があっという間に過ぎてしまった。



さらば、マレーシアーその2 [日記]

 マレーシアは車社会である。公共交通機関が発達していないので、どこに行くにも車が必要になる。クアラルンプールの中心部はモノレールが走っていたり、何本かの電車が放射状に伸びていたりはするのだが、この電車やバスで通勤している人の数は日本などに比べるとほんの僅かと云っていい。車好きの僕もここでは絶対に必要なことが来る前から分かっていたので、どうするか考えた末にMM2Hビザを持っている外国人は来る前に自分の国で使っていた車を無税で持って来れるという特典を利用することにした。
 東京で2年間乗っていたミニクーパーは、もしこちらで買うとすると560万円もする。何と日本の2倍の値段なのだ。これはマレーシアの国産車を保護するために輸入車には2倍の関税をかけているせいだという。それでもここはさすが車社会だけあってちょっと金に余裕のある人間はベンツやBMWを欲しがる。少し前の日本によく似ているのだ。僕の住んでいるバンサーという地区は高級住宅地と云われるだけに、ベンツやBMW、果てはフェラーリやランボルギーニまでがウヨウヨいる。車が正にステイタスなのである。そんな中にあってミニクーパーやゴルフGTIなどは金持ちのセカンドカーとして、或はオモチャとして人気がある。派手な黄色でサンルーフ付きの僕のミニも住んでいるコンドでも結構目立っている。
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車社会なのでコンドミニアムでは必ず各部屋に1台ずつパーキングがついている。分譲価格に少なくとも1台分のパーキングがついているのだ。僕のパーキングの隣の人は2台分の駐車スペースをもっていて、いつもベンツのSLKとBMWのM3を駐めている。反対側にも大型のベンツが駐まっているので、僕のミニはいつも小さくなっている。
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このコンド(マンション)は400室ぐらいある内のおよそ半分が分譲され、あとの半分はデヴェロッパー会社が賃貸している。ホテルのフロントのようなサービスをするアパートをサービス・アパートと呼んで、一般のマンションと区別しているのだが、ここでもフロントに必ず1人以上が常駐して住人へのサービスをきめ細かにやってくれる。いつも受付にいるインド人のおばさんはもう勤続20年以上とかで、何百人もいる住人の全ての顔を覚えている。
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我が家のテラスでは熱帯植物を何鉢か育てている。葉ものはあまり手をかけずに放っといていてもよく育つのだが、ブーゲンビリアだけは結構むつかしい。水をやりすぎてもすぐ枯れてしまうし、やらなければ元気を失うしで結構やっかいだ。それでも辛抱して適当に水を絶やさないようにしておくと、年に何回か花をつけて楽しませてくれる。あれは花ではなくて葉っぱだよと云ってくれる人がいるが、僕にはどう見ても花に見える。
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週に3〜4回はテニスをするし少し動いただけで汗をかくので、普段はあまりほかの運動はしないのだが、たまに日本に行ったときには食い物が旨いので少し太って帰ってくる。そんなときにはコンド内にあるスポーツジムで汗を流して体重減らしを心がける。以前はランニング・マシンの上で20分以上走っていたものだが、70才以上にもなると走るのはあまり体によくないよと云われて、この頃では1時間の歩きに切り替えた。歩きだけでも1時間もすると消費カロリーも20分の走りを超えるから、心臓に負担をかけずにカロリー消費ができるわけだ。
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 こんな調子で5年間もここで暮らしていると、あまりに平和でのんびりしているのでボケはしないかとマジで心配になってくる。あと5年もすれば80才を超えるし、そうなれば体力、気力共衰えてから日本に帰ってもあまり楽しい暮らしもおくれまいと思い始めたのが今回日本に帰ろうという気になった主なる動機なのである。



さらば、マレーシアーその1 [日記]

 この2月末でマレーシアに移り住んでちょうど5年になる。何もしないでごろごろしていた割にはアッという間に5年が経ってしまった。気がつけば俺ももう76、来年は喜寿だ。今はまだピンピンしていて、毎日のようにテニスコートで走り回っているが、あと5年もすれば80を超えるし、そうなれば体力、気力とも衰えてくるかも知れない。そうなってから日本に帰っても、老いさらばえていくのをただ待つだけというのでは情けない。というわけでそろそろこの辺で楽園生活は切り上げ、いろんなことが結構厳しい日本に敢えて帰って、終の棲家でも建ててやろうと一大決心をしたのである。2月末で賃貸契約が切れるのを潮時に月末の日本行きのエアチケットを手配した。
 思えばここマレーシアは当初の予想通り正に天国ではあった。物価は安い。治安は悪くない。食い物は旨い。英語が通じる。そして何よりも常夏の気候が素晴らしい。1年中短パンとTシャツとビーサンで暮らせる。仕事を引退して年金生活をする者にとってここは正に理想の国と云えるかも知れない。
 近年マレーシア政府肝いりのロングステイビザ(Malaysia My Second Home Visaという)を取得して移り住むリタイア組が増えたらしい。東日本大震災後に特に多くなったという。そこでこれからマレーシアに移り住もうかと考えている人たちにも参考になるかも知れないと思い、この5年間の出来事や毎日の暮らし、行ったところやそこでの経験などをまとめてみたい。

<こんなところに住んでいた>

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Bangsarという都心から車で15分ばかり行った住宅地の丘の上にそびえる超大型コンドミニアムの10階にいい部屋が見つかった。築30年近い古いマンションだが、管理が行き届いていて住み心地がよいと聞いていたのでここに決めた。3ベッドルームとメイドルームという構成で広さは170平米もある。夫婦2人には広すぎると思われたが、あまりの景色の良さとテニスコートやプールの素晴らしさに惹かれて予算オーバーではあったが、思い切って入居した。因に家賃は月11万円(為替変動によっては12万円近くなる)で、日本と比べると嘘のように安い。当初は月8万円というつもりであったが、周囲の雰囲気やマンションの設備などを考えると、むしろこの方がいいのではないかと自分を納得させて思い切ったわけだ。

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コンドミニアムのテラスからの眺めとしては、ここは恐らくクアラルンプールで1番と云っていいだろう。クアラルンプールのシンボルになっているツインタワーとKLタワーが左手に見え、その手前に公園や平屋の住宅地が広がり、何も目を遮るものがないのである。

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ビルが林立する都心部や近所のビジネス街を遠目にこのコンドミニアムの前だけどうしてこんなにビルがなく、見通しがいいのだろう?多分市の方針でこの地区にはビルを建てるのを禁止しているのであろう。我々住人にとっては誠にありがたい状況という他ない。

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朝ツインタワーを背にして昇ってくる太陽は見応えがある。サンライズだかサンセットだか分からないような景観をしょっ中見ることができる。

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目を下に移すとプールサイドで寝そべるビキニの女が目に飛び込んできたりしてニヤリとさせられる。

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プールはやや変形だが泳ぎやすく、子供や大人を対象にしたスイミング・レッスンなんかもやっていたりする。泳ぎがあまり得意ではない僕も美人の水泳コーチに習おうかと思っていたが、テニスの方が忙しくついに習わず仕舞いになった。

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1番の趣味であるテニスの環境はすこぶる良い。2面のコートの1つは主としてレッスンに使われているが、空いているときには誰が使ってもいいし、もう1つのコートは使い放題だ。コンド専属のコーチがいるところはKL中探してもないのではあるまいか?そのコーチを混じえてのテニスのゲームはとても楽しい。

とまぁ、こういった環境に5年住んでいたわけだ。天国と云わずして何と云えばいいんだろう。
ではなんでこんなにいい所にバイバイしてくそ寒い日本なんかに帰るの?と聞かれることが多い。
「でもなぁ、やっぱり死ぬところは日本だろう」というのが僕の本音なのだ。だからまだ元気なうちに日本に帰って、終の棲家を自分も参加して作るというのが目下の最大の関心事になっているのである。

 

退屈なるままに [日記]

あれ、違った。徒々なるままにだった。
またまた1ヶ月以上もブログ書くの忘れてしまった。あまりにも刺激のない毎日で書くことも特になければ、事件といったものもない毎日だ。そんなある日近くのカフェに坐ってコーヒーを飲んでいたら、目の前にグオーンという轟音とともに素晴らしくきれいでカッコいいオートバイを乗り付けたお兄ちゃんがいた。タンクのマークを見ると何とMVアグスタではないか。アグスタが生まれ変わって超近代的なマシンを作っているとは聞いていたが、それを目の前で見られるとは思っていなかった。マレー人のそのお兄ちゃんに「これいくらぐらいするの?」って聞いたら、日本円にして500万円ぐらいだって。なんとまぁ。マレーシアでこんな高級バイクに乗るには余程のお金持ちでないとだめらしい。
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しかし、昔のグランプリで勝ちまくったあの美しいアグスタの面影は全くなくなってしまった。これはこれで美しく精悍ではあるけれど、ホンダやスズキやヤマハなどと変わらないではないか。ある意味ガッカリだ。

そんな感慨にふけりながらコーヒーを飲んでいて、昔の我がオートバイ遍歴を思い出した。思えば若い頃、といっても50才を過ぎてからなのだが、急にオートバイのことが気になり出した時代があった。
そんな折り旧友の生沢徹君のうちに遊びに行ったとき、ガレージの隅っこにカバーをかぶったオートバイらしいものが見えたので、そっとカバーを外して見ると、そこには真っ赤なタンクのピカピカに磨かれたホンダCB400がうずくまっていた。当時のオートバイとしては珍しいマルチエンジン(4気筒)を横置きにしたそのエンジンから横に向かってピカピカに光る4本のエキゾーストパイプを見た瞬間、「これだっ、俺の探していたものは」と胸がドキッとしたのを今でもよく憶えている。
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その横置きエンジンから突き出した4本のピカピカ光るエキゾーストは、その形から当時スパゲッティパイプと呼ばれて親しまれていた。それに魅せられて直ぐにそのホンダCB400を探し始めた。当時既にこのCB400は生産を終わっていたので、中古を探すしかない。上野の中古オートバイ街を探し回ったがなかなかいいのが見つからない。池上あたりの中古屋でやっと気に入った赤いタンクのCB400が見つかり、当時は珍しくもホンダ7ハンに乗っていた勇ましい女性の友達に付き添ってもらって、やっと手に入れることができたのである。
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ところがである。この憧れのホンダCB400にいざ乗って箱根を目指してツーリングに出かけたのはいいのだが、何だか物足りないのである。「何なんだろうこれは」と思いながら、それでも1日中乗り回して帰ってきた。このスムーズなエンジンの、赤いタンンクの、キラキラ光るカッコいいエキパイのバイクにのっていながら、何で何か物足りない感じを受けてしまうんだろうと考えて、ふとうんと昔大阪にいる頃に親の目を盗んで乗っていたメグロのオートバイのことを思い出した。当時のオートバイは大抵黒く塗られていて、大型で重く、取り回しも楽ではなかったが、ドドドッという手応えのある腹の底に響くような音と振動に心が浮き立つような思いをしたものだ。それが近代的なマルチエンジンのホンダにはなかったのである。こんなはずではないと思いつつ過ごしていたある日、赤坂の福田モーターの前を通りかかったとき、ショウウインドウに飾られていた真っ赤なオートバイに目を奪われた。なんと美しいスタイルのバイクなんだろうと、吸い寄せられるように店に入って行き、よく見るとそれは音に聞こえたイタリアはモトグッチのバイクではないか。しかもサイズがチビの俺にはちょうどいい35IMOLAというモデルだという。350CCなら中型バイクの範疇に入るわけだし、車重も軽くて取り回しもよさそうというので、その場で発注してしまった。家に帰ってよく調べてみると、デザインが美しいわけだ、なんとそのデザインは当時車のデザインでは世界で最も売れっ子だったイタリアのジウジアーロの手になるものだったのである。それを知ってさらにそのバイクが気に入り、1週間後に納車されるや、直ぐにまたもや箱根に乗り出した。もうそのIMOLAのサウンドと振動、低く構えたライディングポーズといい、ヤッホーと叫びたくなるような気持ちの良さ。夜暗くなるまで乗り回したものだ。
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この35IMOLAに乗り始めて1年ぐらい経ったころだろうか、このIMOLAのボディに一回り大きい500CCのエンジンを積んだ50MONZAというニューフェースが現れた。500CCならさぞ手応えも凄かろうと思いIMOLAを下取りにこのMONZAに乗り換えた。確かに力強いトルクを感じさせるエンジンではあったが、IMOLAに初めて乗ったときのような感激はなかった。
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スタイルが全く同じというところから、あまり新鮮味を感じなかったのであろう。このMONZAにはその後2年ほど乗ったところで、何かもっと心を躍らせる凄いのが欲しくなってきた。

そんな折りに中年ライダー仲間の1人が持っていて、かねがねあんなバイクが手に入ったらなぁと思っていたイタリアの大型バイクのドカティ900SSというクラシックバイクを売ってもいいという。矢も盾もたまらずそれを手に入れた。チビの俺にはちょっと無理かなとは分かっていたのだが、そのあまりの魅力に抵抗できすに手に入れたわけだが、そのガソリンタンクが前後に長いので、アクセルとクラッチに手を伸ばすと体が完全にうずくまってしまって、まるでレーサーのようになってしまう。格好はいいのだが、これでは長時間のライディングは疲れてしまう。ツーリングの時などは左の肘をタンクについて体重を支えて、右手でアクセルを操作するという危なっかしい姿勢で乗っていたものだ。
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しかしこのDUCATI900SSは素晴らしい直進性を持っていた。箱根への東名高速の直進でいざアクセルを一杯に開けるとそれこそ矢のように速度を上げていき、190キロぐらいで恐ろしくなってアクセルをゆるめる。200キロは出そうだが、もし小石なんかが道路に落ちていて踏んづけたら一気にすっ飛んでしまうだろう。こんな馬鹿なことは1度で沢山とその後はやっていない。
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色は違うがこれと同じタンクだし、ハンドルが極端に低いのでチビの俺には負担が大きい。それでもこのタンクのデザインこそが900SSの最大の特徴でもあるので、我慢して乗るのである。

我がバイク人生はこのDUCATI900SSで終わる。10年程前、65才になったのを潮に大型バイクはもう無理かなと諦めて手放すことにした。かねてからの知り合いだったDUCATI専門店の中野社長に頼んで引き取ってもらうことにした。彼に見せると状態はいいようだがエンジンの中身はどうかといってコンプレッサーで圧力を計ると、ちょっとコンプレッションが落ちているので、ボーリングが必要だという。そんなこんなでかなり値切られたが、何しろ相手は専門家だからしょうがない。言い値で引き取ってもらうことにした。トラックに載せられて去って行く愛車を見ているとすごく寂しかった。

あれから10年か。俺もずい分年をとったものだ。もう念願だったハーレイにも乗れないかな?
日本に帰ったらあの法規の厳しい世界では尚さら乗るのは難しいだろうな。あーぁ。



 

久しぶりの東京 [日記]

 マレーシアでの熱帯暮らしも5年近くになり、常夏のトロピカル・ライフもすっかり堪能したのでそろそろ腰を上げるかという気になってきた。では次どこに行くか、ということになるとこれといった所が思い浮かばない。ではそろそろ日本に終の棲家でも構えるか、ということで場所の見当をつけようと久しぶりに日本に帰ってきた。東京に着いた翌日街で「アメリカン・ポップアート展」というのを新国際美術館でやっているというポスターが目に入った。新国際美術館は黒川紀章氏の晩年の作だとは知っていたが、その出来映えについては賛否両論あって、僕も特別に関心も持っていなかったのだが、行ってみてびっくり。外観はそれほど印象的ではないものの、中に入っていささか驚いた。なかなかダイナミックなデザインではないか。吹き抜けに空中に浮いたような高いところにレストランがあり、いかにも上からの見晴らしが良さそうというのか、結構人が入って食事しているのが見える。
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 さて、「アメリカン・ポップアート展」なるものはいかが、ということで会場に入ると、これがまた
予想を超える見応えのあるもので、いま僕がマレーシアで暇つぶしにやっているバティックのモチーフにときどき拝借しているウォーホールやリキテンシュタインなどのオリジナルが所狭しと並んでいる。なんだか嬉しくなってくる。
 この展覧会はさるアメリカの富豪と結婚した日本人女性のコレクションから大部分を拝借したということで、そのすごい内容に驚かされる。この人特にウォーホールとの親交が深かったようで、かれの作品のモデルになったりもしている。
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 そのウォーホール、なんでも初来日とかで、この展覧会のこけら落としに来たんだろうか? えっ、ウォーホールってまだ生きてるんだっけ? だいぶ前に死んだはずだけど。俺何か勘違いしてるのかな? 後で調べてみることにしよう。
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Bali Impressionsーその4の付録 [日記]

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バリに行くと必ず見せられるものにガムラン音楽とバリ・ダンス、それにケチャックという男達の勇壮な踊りがある。きれいに化粧した若いバリ美人の踊りはなかなか魅力的だが、ガムラン音楽の単調さはあまり好きになれない。ケチャックも1度見ればもう沢山という感じだ。
 ホテルのレストランである日ステージのようなものが作られ始めたので、食事しながら待っているとやがてガムランの演奏者らしい男たちが数人現れ音を出し始めた。あの単調な音楽がひとしきりあって、待ってました、可愛らしい踊り子が2人ステージに登場、手の動きが特徴のバリ・ダンスが始まった。バリのダンスはタイやマレーシア同様、手の動きと顔の表情、とりわけ目の動きがものをいうらしい。踊り子の目がしょっ中右に左に大きく動く。腰もくねくねと動かすこともあるが、ハワイのフラほどではない。しかし、きれいな踊り子の可愛く踊る様には引き込まれてしまう。


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うっとり見ていたら、やおらその踊り子が近寄って来て有無を言わせずステージに引っ張り出されてしまった。自分の動きに会わせて踊れとゼスチャーで促されるのだが、あの手の動きについていけるわけもなく、ただ何となく手足を動かすだけ。写真見るとこりゃまるで阿波踊りだね。いやはや。

Bali Impressionsーその4 [日記]

バリを訪れる人たちが街で必ず目にするものに割れ門とウンブルウンブルと呼ばれる幟(のぼり)があるはずだ。割れ門は真っ二つに割れた門の間を通れば邪気が払われるというヒンズーの教えがあるとのことで、ウンブルウンブルの方は先祖様が帰って来るのをお迎えするという意味があるらしい。
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このウンブルウンブルという幟は本来は右写真にあるような無地の色物なのだが、最近では観光的意味でやっているのであろうが、ウンブルウンブル祭りといったイベントが開かれ、いろんなアート的要素をもったものが一同に集まるという。左写真はそんなイベントの1つなのであろう。


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割れ門は寺院といわず、ホテルといわず、ふつうの家の入り口にもあるので、それこそバリ中で目にするものだ。本来はひと1人がやっと通れる幅しかないとのことだが、寺院や公共の施設などでは結構幅広のものもみられる。写真左はかなり裕福な家の入り口に置かれた割れ門と見られる。


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宗教的なシンボリックなものを目にすることの多いバリでは、店の入り口に割れ門の代わりに写真のような飾り物がおかれているのをよく見かける。これは高級マッサージ店の店先の飾り物だ。マッサージといえば、バリ中どこを歩いてもマッサージ店ばかりという印象を受ける。バリに行けばマッサージというのは日本女性の定番となっているらしいが、こんなに暑い国でマッサージなんてそんなに気持ちのいいものなのかなぁ。1時間千円ぐらいの超安いのから4時間で1万円以上なんていうのもあるようで、正にマッサージ天国といった感がある。
 下の写真2枚の男女の絵は何かお分かりか? これはさるレストラン内でみたトイレのドアにつけられた男女別の標識なのだ。なかなか洒落ているではありませんか。

 とまぁ、とりとめのないバリの印象をランダムに紹介してみました。お退屈さま。








Bali Impressionsーその3 [日記]

バリ空港から山の方に向かって車で4〜50分行くとウブドゥというアーティストの街がある。以前は山あいののどかな村だったものだが、最近ではツーリストで溢れかえる賑やかな観光地になってしまった。しかしそれでも空港近辺の猥雑な街に比べると、立ち並ぶショップもカフェもちょっと洒落ている。
この街にはクラフトのアーティストたちが多くいるはずなので、それを目当てに行ってみた。


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いま僕がマレーシアでやっているバティックはここインドネシアが本場だという人もいる。どちらが本場かはまぁいいとして、インドネシアのバティックは金属の版を使って細かな模様の繰り返しが特徴となっている。ここウブドゥで見た工房ではマレーシアでやっている手描きのバティックも見ることができた。もう1つウブドゥで見たかったのはアタと呼ばれる竹細工のバッグ類だ。人づてに聞いて行った工房では最初の工程から見ることはできなかったが、仕上げ工程を見ることができた。ゆっくりと何とものどかなスピードで磨いている。家具もいろいろな雑貨類もみんなこんなのんびりした仕事振りで出来上がってくるんだろう。


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ウブドゥへの道路端には絵のギャラリーや家具屋などに混じって石像の店がやたらと目につく。近くで石がとれるんだろうか?インドネシアはイスラムの国だが、ここバリは昔からヒンドゥーが支配的だ。バリ・ヒンドゥーと一般には呼ばれていて島人たちは皆敬虔なヒンドゥー教徒だ。そのヒンドゥーとこんな石像とがどうもよく結びつかない。というのは僕の住むマレーシアに多くいるインド人たちも例外なくヒンドゥー教の信者で、彼等の信じるヒンドゥーのお寺はちょっと笑ってしまうほどカラフルで陽気な人や動物の像で満艦飾に飾られているのに比して、こういった地味な色の仏像を見るとどうも同じヒンドゥーの世界とは思えないのである。


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泊まったホテルの敷地内にもちょっと変わった動物の像があった。ヒンドゥー教徒は牛を神の使いとして崇めるという。インドの田舎に行くと街の中を牛が堂々と歩いていたりして観光客たちを驚かせているらしい。ホテルのロビーにユーモラスな牛が寝そべっていた。もう1つ目を引いたのが庭のそこここに佇んでいるカエルの像で、これは何とゴミ箱で足下のペダルを踏むとカエルがあんぐりと口を開けてゴミを呑み込むのだ。ゴミ捨てが楽しくなるように仕掛けたんだろうか?

Bali Impressionsーその2 [日記]

 バリに行くなら賑やかなクタの喧噪を避けて、サヌールやヌサドアのビーチ沿いのリゾートに泊まるか、もっとバリ気分に浸りたい人はホテルではなく、通称ヴィレッジと呼ばれるコテージに泊まるべきだとよく云われる。コテージといっても小さな小屋ではなく、1つ1つのコテージにプールがついていて、部屋は3つぐらいあって豪華な家に住んでいる気分にさせてくれる。それぞれ専用のメイドが至れり尽くせりのサービスをしてもくれる。しかし、今回僕が訪れたのは会員になっているRCIというリゾート組織のメンバーホテルで、タダ同様で泊まれるので騒々しいクタの真ん中でも我慢することにしたのだ。

IMG_4836.JPG クタの街は30年前と殆ど変わらぬ喧噪ぶりだ。観光客向けのショップやレストランが立ち並び、夜遅くまで騒がしい。その代わりホテルの食事よりも安くて旨いレストランを見つけるという楽しみも多い。


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クタ・ビーチの入り口付近にディスカバリー・モールという大型のショッピング・モールができてしまった。表側はクタのメインストリートに面し、裏はクタ・ビーチに向かって大きく開かれている。バリのビーチに期待するイメージとはほど遠いものがある。残念。


IMG_4830-2.jpg そのディスカバリー・モールの入り口付近。セブンイレブンまがいのコンビニやマクドやケンタなど何処でもお馴染みの店が軒を並べているのはしょうがないかな。この辺りで多少なりともバリらしさを求めるとすれば、隣のレギャンを過ぎてその先のスミニャック辺りまで足を伸ばさなければならないんだろうな。そのスミニャックでさえ静かだった昔と違い、洒落たブティックやカフェがひしめいていると聞く。文句いってもしょうがないか。


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クタ・ビーチでその喧噪ぶりを嘆いていてもしょうがないので、以前は静かで開発もあまり進んでいなかったジンバランのビーチに行ってみた。フィッシュ・マーケットの賑わいはしょうがないとして、やはりここも開発の波に洗われて、ビーチの砂の上に沢山のテーブルを並べてツアーの観光客たちを迎えるレストランがずらっと並んでいた。たち並ぶレストランが途切れると、そこにはハワイのワイキキ並みの人で溢れるビーチが見える。かつてひとりポツンとあった感の超高級リゾート、フォーシーズンズ
にも人が押し寄せているんだろうか?いや、ある人の話ではフォーシーズンズどころではないもっと料金の張る超超高級なリゾートがいくつかできている聞く。バブルも終わって久しいのにまだまだそんな値の張るホテルが次々と現れるのかなぁ。まぁ、どうでもいいや。年金生活者には縁のない話だね。

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